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日記のような脳内メモ。
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平沢師匠のあの歌声をデータベースにしたVOCALOIDを夢想したことがある人は結構多いと思うのだけど

伊集院光のVOCALOIDがあったらいいなと。
たまにラジオで歌ってるのを聴くけど、表情のある、面白い、いい声だと思うんだよ。
萌えに傾きすぎない(別方向に強烈に傾くかもしれないが)という点でも、ネットで支持されている芸能人、という点でも、全く「ナシ」ではない人物だと思うのだがどうか!
ボカロファミリーにデブキャラがいたっていいじゃないか。
むしろいてほしい。いるべきだ。
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■Re:The 9th 「9番目のうた」

こういうのを、ずっと読みたかったんです。
ボーカロイドを、歌う機械を、キャラクターを、アクターとするだけでなく、テーマにした物語がずっと読みたかったんです。
満足だ、すごく満足だ。

久々に「あああ、私の言いたいことが全部書いてあるううう」という文章を見つけてしまいました。

■歌の好みとか初音ミクとか

うん、恋愛はもういい。
勿論歌われるべき、書かれるべき、読まれるべき普遍のテーマであるけれど、今はやっぱり多すぎる。
この記事にあるような不思議なものや、名前の付けられない微妙で繊細、もしくは大雑把過ぎて捕まえられない感情や現象の歌が聴きたい。
個人とかどうでもよくなるようなロングレンジの神話が聴きたい。
常識がひっくりかえるようなミクロスケールの現象が聴きたい。
どうでもいいこと、なんでもないこと、特別でないこと、それらに意味を持たせる歌が聴きたい。

これは勿論、私の嗜好なのだけど。
私だけじゃないんだなって思えてちょっとうれしかった。
私がクラフトワークにはまったのは、あの変態(褒め言葉)たちは高速道路やビタミンや数字の歌を歌ったりしているからだった。
そういや奥田民生のBeefも大好きだったなあ。
ロマンチックな二人の世界の歌よりも、神戸牛の歌が好きなんだ。
VOCALOIDはそういう歌を歌うのに、とても適した「存在」だと思うんだぜ。
■お詫びしたい

別に怒ってはいないし、気分を害してもいないのだけど。

自分にとって快い、好きだと思えるものを見つけるのは、実はそう簡単じゃない。マスコミや流行に踊らされず、とはよく言うが、踊らされる(と思われること)のを恐れるあまりに流行やメジャーを否定することは、踊らされているのと同じだ。

初音ミク、VOCALOIDのCDを買う人は、一人残らずただの流行、イロモノ、ネタに飛びつく人種、と定義する根拠は一体どこにあるんだろう。
逆に言えば、VOCALOIDの、機械の歌が評価される理由など、ただの流行、イロモノ、ネタでしかありえないということなんだろうか。
そんな流行やイロモノがミク発売から一年以上たってから、ようやっとメジャーシーンに顔を出しはじめたことを、この人はどう思っているのだろう。

そしてやはり、どんな音楽でも、その楽曲にとって「よい」ボーカルは機械でなく人である、という優劣を決めなければいけない理由はなんだろう。
人は機械より必ず優れてなければいけないのか。
人と機械に優劣などない、ただ「違う」だけなのだ、というのは私の機械への思い入れが過ぎるだけなのだろうか。

音楽こそは、その人と機械に優劣をつけず、ただ「違う」というあり方を、聴き手に作品の価値をゆだねることを許す、貴重で豊穣なフィールドなのに。


※追記
訂正前エントリを読んだときは本当に怒りも憤りも、特に感情のようなものは沸かなかったのだけど、この謝罪を読んだら、なんだか少し、悲しくなってしまった。
なんでだろうとぼんやり考えて、こんなふうに真摯に謝罪を出して音楽に対して真剣に考える人の「音楽」に、私の大好きな機械は入れてもらえない、それが悲しかったのかもしれないと思い当たった。
ほんとに私は機械が好きすぎるねぇ…
■さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした

よい音楽が売れるべき、貨幣でもって評価されるべきというのは正しい。しかし何をもって「よい」とされるかにおいて、この人は「人間ががんばってる」ことを持ち出した。苦労して手間隙かけてプロが真剣に心血を注いだものが良いもの、買われるべきもの。と定義している。

しかし残念ながらそうではない。何が「よい」かを決めるのは、聞き手の耳であり、作り手の努力の総量ではない。真摯な努力は報われるべきである、と前置きをしても、だ。

そうなるとミクが機械の歌い手であることは特にたいした問題ではなくなってしまう。人間なら意識せずともできるほどの微妙なポルタメントは、ミクは丁寧に入力してやらなければ歌えない。努力の総量で価値が決まるのなら、この時点でミクとその使い手は人間の歌い手を超えてしまう。エントリにあるように日常の管理や不安との戦いだって努力だろうと言うなら、VOCALOIDのエンジン開発から、それを使う人間の音楽構築の知識の蓄積や、たった一人で(一人でという純度の高い創作を可能にしたのもまた機械である)アイディアを形にする濃密な創作の為の時間を確保する、それも努力であろう。違う形の努力を続ける二人のそれに絶対的な価値の優劣などない。

機械は人の手抜きを助けるものだ、という意識なのかな。
機械を使う人間は、例外なく手作業よりラクをしている怠惰な人間であり、怠惰な人間の創作よりも、真摯に努力をする誠実な人間の努力の結晶である作品を買え、と。
当たり前だがこのエントリを書くということは、ボカロファンではないのだから、実際のVOCALOIDを使う、ということをよくは知らないんだろう。
非常に単純で簡単なこととして捉えていると思われる。

これもまた残念ながら、VOCALOIDは「まだ」そこまで簡単じゃない。
こういう人のVOCALOIDのイメージって、ある意味すごくハッピーでラクチンで、むしろ現状のボカロ使いやファンが望んでるものに近い気がする。
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