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日記のような脳内メモ。
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なんて高レベルなジェバンニたちッ…!











かわいいけどひらべったくない、素直でふくらみのある声だ。萌え系に傾きすぎない、世界名作劇場とかの「アニメ」の声。イイネイイネー。
「え」の伸ばし方とか、は行のクッキリ加減とかががくぽに似てる気がする。インタネボカロっぽいってことかな?
女の子シンガーでありながら、意外と既存ボカロどれともかぶらないのは何気にすごい。
あとさわやかでかわいいアイドルソングは文句なしにハマりそうだけど、実はヤンデロイド方面もかなりイケると思うがどうかな!どうかな!聞いてみたいです!

インタネボカロの特徴(ともう言っていいよな)として、割と声にデフォルトで「色」が載ってる感がある。その「色」は使いづらいクセでもあるだろうが、うまくハマれば劇的な効果があるだろう。
VOCALOIDの声は楽器の音色であると同時に、いくらかの(インタネ社のボカロはさらに)役者性を帯びている。
役と役者がぴたりと融合した芝居は素晴らしい。
役にも役者にもそして客にもとても幸福な体験となる。
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あの曲の師匠の声はたいそうセクシーで大好きです。あの声で電話されたら腰から砕けてガクガクする自信ある。されないから安心しろ。
SNS日記やらtwitterやらあちこちに書き散らかしてるのを、一応ちゃんとまとめることにしました。ここ本拠地。にゃぽやがくぽSNSからの転載もちょこちょこのっけてくと思います。


5分でわかるPCL

すごいまとめ能力だ。遊牧家族さんはちょう仕事ができそう。こういう人をキレ者っていうんだぜ。
多分現状で一番分かりやすく正確だと思う。


twitterから。
『金銭でなく賞賛だけを対価にして作品を生む無名のクリエイターは、匿名だからこそ大量に生まれた面がある』

最後の2段落について。
CGMやUGCの最も大きく切実な危機は、権利者の圧迫や悪意ある第三者企業からの搾取ではなく(いやそこにも気を配らねばならないのは確かだが)こういう「自壊」だと思う。
出る杭打ち過ぎ、みんなもっとやさしくしようぜ!ってことではない。そういうことではない。そういう個人レベルの心がけで変えていけることは少なくないが、そういうことではない。
誰か悪い心がけの人がいて、そいつがいなくなれば解決!っていうことでもない。
仕組みとして、リテラシーとして、打たれた杭を守る適切な機能がどこにもないってことだ、それが問題。
かろうじてあるのは「匿名」という薄い盾だけ。それが現状。

フェイマスになること、多くの人に個人やその創作が知られることは、大なり小なり良かれ悪しかれストレスなんだ。
良い作品を生む才能を持った人間が、そのストレスに耐えるだけの胆力を持ち合わせているとは限らない。またそのストレスをうまく癒せる協力者や方策を持っているとも限らない。
目に見える悪質なストーキングや執拗な粘着、ねたみそねみ、それにまつわるトラブルはもちろんのこと、小さなトゲのような、なにげない悪意や善意(ときに善意の行動は悪意よりも始末が悪い)も数が集まれば、アーティストを殺す弾丸になりうる。その弾丸から創作者を守る盾がない。

商業音楽がメジャーデビューした途端、やれレコード会社担当だの音楽事務所だのとアーティストを十重二十重に囲い込むのは、なにも権威や利権のためだけではないよ。あれは分厚い盾でもあるんだ。それこそ江戸の、ルネッサンスの昔から芸事にはタニマチや幇間やパトロンやグルーピー(は違うか?)がつきもので、彼らがたとえ歓迎されてはいなくともずっと存在し続けていられたのは何故か?盾は必要だったということだ。いつの時代も。
インターネットはその盾を無力にした。創作者はのびのびと外を闊歩し、自由に作品を作れるようになったかわりに、数の弾丸から身を守る盾を失った。

そして匿名そのものにも弊害はある。上記のURLにあるように権利関係の諸々は勿論、匿名ゆえに望まぬ名や意味をつけられることに耐え難い苦悩を持つ創作者だっているだろう。
これをどうクリアするか、それは全くの模索中だ。
誰か天才が素晴らしいシステムを生み出すかもしれない。
いつのまにか、なんとなく、うまいことまわる仕組みが出来るかもしれない。
何もできなくてどんどん問題が表面化して全てが瓦解するかもしれない。
最適化を続けるネットリテラシーが育っていくかもしれない。
誰にもまだ分からない。

私たちは、新しいところにいる。
目の前には見たことのないドアがある。
いや本当にドアなのかどうかすらわからない。
今まで長い時間をかけて積み重ねてきたやり方は、どうやらこのドアらしきものに無力ではないけど足りないようだ。
探さなければいけない。たったひとつとは限らない冴えたやり方を探さなければいけないらしい。
この、むごいほどにフラットで魅力的なネットという地平を住みよいものにするためにね。
実は小説とライトノベルの違いがよくわかっていない。
表紙なのか出版社なのか作者なのか対象なのか。
自身がライトノベルといわれるものをほとんど読んでないせいもあるだろうけども。
いわゆるなんとなくの区別なのだろうけど、そんななんとなくでしか区別していないなら、そんな区別必要ないだろうとしか思えない。

何年か前(かなり前)、自分が書いたものを小説を書いたよといって知人に読んでもらったら、ちょっとした非難の口調でこれは小説じゃないよラノベ。と断定されて超どっちでもいいよと思ったことがある。
自分で信頼できない(そもそもわからない)ものをタテに、いわれのない非難を向けられ、違いがよくわからないのに明らかに片方を下に置き、あんたのはこっちじゃなくてこっち、と理不尽なラベリングをされた気がして不快になったものだ。
ラノベ読んでないけど、出来の悪い小説をラノベというわけじゃなかろう。

というようなことをtwitterでぶつぶつと垂れ流していて、何かおやつでもないかしらと開けた冷蔵庫に安い国産牛が入っていた。

「小説」と「ライトノベル」の対比は、「和牛」と「Jビーフ」の対比にそっくりなのではあるまいか!
和牛、は言葉通りなら国産の牛だけれど、いまやブランド化されて明らかにただの国産牛とは意味も価値も違う。
私のつたない作品を読まされたあの人は、ただの国産牛が和牛名乗るなや、オマエはJビーフ!と言いたかったのだろう。
しかしJビーフという言葉はいかにもまぬけで、粋じゃない。
ならば国産牛、というごく普通の言葉で良い。
そんなわけで、私の書くものは牛で言うと国産牛です。
といわれても言われた人は何もわからないですね。

商業であるかないかを問わず、このへんを表すジャンルなり、区分なりの登場を待ち望む。
デモ曲がきた。



汎用性高い声とみた…!

クリプトンとはコンセプトの時点で差別化をはかるインターネット社の姿勢がハッキリ出てるなあと思う。
がくぽと同じく、人間くさい、テクスチャの濃いかんじの音づくり(声づくり?)がされている。
何色にでも染まれるミクとは違う、ある程度の「色」を持った声。
でも、もともとの中島さんの声質なのか、すごく素直で、どんな年齢層の人にも受け入れやすい「可愛い女の子」の声だと思う。
最早ボーカロイドにはお約束になっている、モチーフになるヤマハ製品。
ぐみさんはTENORI-ONでは?という説

がくぽのMIBURIといい、インターネット社のボカロはトリッキーなところツイてくるねえ。
でも、これ、いい!すごくいい!
これをきいたとき、なんかぐみさんのイメージがカチッと音を立てて頭の中でハマったよ!

TENORI-ONは、名プレイヤーやメソッドはまだ白紙同然だけど、音で遊ぶことでの新しい可能性をたっぷり持った、新しい楽器だ。
それでいてデザインや音色はどこか懐かしくて、おもちゃっぽくて、かわいらしい。
キャラデザインも今までのボカロとはテイストの違う、キッチュでキュートなぐみさんにぴったりだ。

レトロキュートなピコピコガール。
いいね!いいね!さらに声が楽しみになってきた!
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